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【ナイン・オールド・メン】躍動感あふれる表現で魅せる「ウォルフガング・ライザーマン」



ディズニーのアニメーションの制作の中で特に中心的な役割を果たした伝説的なアニメーター9人は、「ナイン・オールドメン」と呼ばれています。今日はその中のウォルフガング・ライザーマンについてご紹介いたします。





■ウォルフガング・ライザーマン


ウォルフガング・ライザーマンは1909年6月26日ドイツのミュンヘンに生まれましたがまだ赤ちゃんの頃に家族でアメリカに渡りカリフォルニア州のシエラマドレで育ちました。

幼い頃から飛行機が好きでエンジニアになるために大学に通い、航空会社に就職しました。

ですがその後、興味のあったアートを学ぶためロサンゼルスの学校に通います。

そこでディズニー・スタジオに勤める先生と出会い1933年にアニメーション部門に入社しました。


彼はシリー・シンフォニーやミッキーの短編作品など数々の作品や世界初の長編カラーアニメーションである「白雪姫」の原画を担当。

「ピノキオ」ではゼペットとピノキオが飲み込まれてしまったオバケくじらのモンストロの作画監督をし、あの躍動感あふれるシーンが誕生しました。

「ファンタジア」ではストラヴィンスキーの「春の祭典」で創世記を描く中で恐竜時代の作画担当。

また「ダンボ」ではネズミのティモシーの作画担当をしました。







また「シンデレラ」「ふしぎの国のアリス」「ピーター・パン」「わんわん物語」などでは、物語全体のアクション担当の作画監督を務めるなどキャラクターを描くだけではない重要な役割をしました。


その後、「101匹わんちゃん」「王様の剣」「ジャングル・ブック」では今まで複数名で行っていた監督をライザーマン一人で務めました。


またウォルトが1966年に亡くなってからは「おしゃれキャット」「ロビン・フッド」「ビアンカの大冒険」で監督そしてプロデューサーとしても作品制作の指揮をとるなどまさに伝説の人として幅広く活躍しました。


50年近く勤めましたが1981年に引退したウォルフガング・ライザーマンでしたが、1985年にディズニー・スタジオのあるカリフォルニア州のバーバンクにて75歳で亡くなりました。

ウォルト亡き後のディズニー映画を引っ張っていった最もエネルギッシュなアニメーターのひとりとして1989年にはディズニー・レジェンドを受賞しました。